恋妻家宮本を観て‥

月曜日、夫と久しぶりに
映画を観てきた

原作は重松清の『ファミレス』

※少しネタバレがあります
観ようと思っている方
ココから読まないでくださいね

♦︎♥︎♦︎―――――♦︎♥︎♦︎

結婚生活27年‥息子ひとり
この部分は我が家とほぼ一緒‥

子どもが独立して
ふたりになって新たな戸惑いが‥

熟年夫婦の足りない部分‥
言わなくてもわかるだろうの夫
妻が求めている言葉

うちの夫もそうなのですが
伝わっているようで伝わらないこと
ありますよ

この中で
夏目漱石の言葉を引用した
考えよ 語れ 行えの意味‥

相手が何を求めているのか
自分はどうしたいのか
心の中の思いを言葉にして
語らなければ伝わらない
待つのではなく今すぐ行え!

そんなことを
言いたかったのかな?

嫁や孫たちに
厳しく接するおばあさまの
「何処か間違ったこと言いましたか?」に
返した言葉が印象的だった

「全て正しいですよ
ただその中に‥優しさが無い‥」

正しいと正しいはぶつかる
でも、優しさと優しさはぶつからない

正論ばかり言っていては
相手との壁は高くなるばかり‥

その中に優しさがなくてはね

上手く言えなくても
手を握る 抱きしめる‥
それだけで十分相手には伝わる‥

この映画を観て
クスッと笑い
ポロっと泣いた

夫婦は空気じゃだめなんだね

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ずっと一緒って叶わない

夫婦・・・
歳が増えると話す内容も変わってくる

子どもが生まれるまでは
ふたりの時間だった..

共働きだったからか
夫が何も言わないからか
独身の頃と差ほど変わらず
私にも自由が多かった

夫は、家事のことにも
私のことにも
何の口出しもしない人だった

ん?私に興味が無いのか?
と、ふと思うこともあった

2年間..ふたりの時間を過ごし
その後息子が生まれた

夫婦の話から
子ども中心の話へ...

10ヶ月の産休をもらい
仕事に戻った私は
それまでの時間は全て子どもに..

その時間...
自由だった時間とは
比べ物にならないくらい
それはそれは楽しい時間となった

子どもの寝顔を見ているだけで
しあわせ気分..
夜鳴きもしたけど
夫がどんな音にも目覚めない人だったから
それも助かった

我が家から徒歩5分のところに
100名程の子ども達が過ごす
保育園があった

わが子もそこに
0歳からお世話になりました

きっと、あの頃は
とても忙しかったのだと思う

だけど大変だったという
記憶が無い
楽しかったという
思い出ばかり残っている

でも・・・

子どもが保育園の年長さんの頃から
夫は心の病に..

私、支えるのが辛かったんだと思う
だから別れようと思ったこともあった

でも、別れようと思うと
夢の中で大泣きする私が居るのです
この夢、何度も何度も見ました

別れて去っていく夫の姿を
泣きながら追う自分を見ていました

目が覚めると
本当に涙が流れていました

あの夢は..支える辛さより
別れる辛さの方がずっと大きいことを
教えてくれた気がしました

今、私の中で
その頃の辛かった記憶が
そうでもなかったりする

記憶ってどういう仕組みなんだろう?
特に私の記憶。
辛い部分だけ
消えるように出来ているのだろうか?

今、どちらかの心の病で
別れを意識している人がいるのでしょう
もう別れてしまった人もいるのでしょう

ですが、心の病を理解出来ないまま
別れた方がしあわせなのでしょうか?
私は、その方向に行かなくて
良かったと思っています

人はいつかこの世から去っていきます
どういう去り方かはわかりませんが
その時に、私は
傍に誰か居て欲しいと思っています

それは、誰でも良いわけではありません

夫婦であれば
先に逝く方は残された方に看取られ
残された方が逝くときは他の誰かに.....

私たちはせめて...息子に
そう思っています

ずっと一緒って叶わない

親とも、子どもとも、姉妹とも、友人とも
別れる日が必ず来るのですから
生きている間は
身内であっても他人であっても
人を大切にしなければ後悔しそうなのです

昨年の11月に
友人が亡くなったことを知らずにいました

彼女が独身で、お母様が認知症で
ご姉妹らしき方から送られてきた
暮れの喪中ハガキで
私たちは知ることになりました

もう一度6人で食事会をしたいという願いは
叶いませんでした

先週、私たちなりの送り方をしてきました
居酒屋のテーブルに
小さいけれど彼女のスペースを設け
いつもの乾杯ではなく
泣きながらみんなで言った「献杯」

この日きっと彼女は
私たちのところへ
来てくれていたと思います

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朝の行動

夫はスーツを着ながら
必ずカレンダーをじっと見ます
自分の仕事の流れを
シミュレーションしているのです

ウツになる前からそうでした
何でも準備を整えなければ
心配なのだそうです

あーして、こーして
あーなった場合はこーして
こーなった場合はあーして‥

なので、朝の夫は
無表情なことが多いのです
それを見ている私はクスクス笑うのです

無表情の夫と
クスクス笑う妻

出掛けるとき
無表情のままコートを着る夫
まだシミュレーションは続いています
なので無口です

私はストーブの前で温めていた
夫の靴を持って玄関に向かいます
夫は置かれた温かい靴を履く

私・・・気をつけてね。待ってるよ。
夫・・・うん。

ドアが閉まり
私は手を合わせ
夫の心の無事を願う

そして私はソファで寝る
Zzz( ̄。 ̄ノ)ノ

我が家の朝の行動でした•̑‧̮•̑

今年も、そんな日が
一日でも長く続きますように!

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今年もあと二日

夫は今日も出勤です
そして、頭の中は仕事でいっぱい‥

大晦日と元旦はお休みですが
二日の準備で元旦は行くそうです

昨日の夜は
元旦行かなくても大丈夫!
と思っていたのですが
今朝、またやっぱり無理って
思ったらしいです

大晦日から一泊で
一旦予約した温泉に
キャンセルが出たので行けるか!
と思ったのですが‥

今年は完全に諦めました( ⸝⸝◦︎_◦︎⸝⸝ )

元旦は夫の仕事中に
息子の運転で御節を持って私の実家へ‥
今年は日帰りになります

北海道は大晦日に御節を食べる人が
多いのですが
明日の夜は私たちも
自宅でパーっと楽しみます(﹡ˆoˆ﹡)

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友達と呼べる人はひとりも居ないけれど

夫はそれでも良いと思っています

夫は父親の転勤により
転校が多かったため
小学校、中学校の卒業後は
卒業名簿に名前があっても
多分・・・
「コイツどんな奴だった?」という
印象の薄い男子だったと想像します

高校は途中親と離れ
下宿暮らしで卒業式まで過ごし
大学もそのまま親から離れひとり暮し..

仲間とバンドをやっていたので
友人は多かったのですが
この病になってからは
徐々に..徐々に..疎遠に...

適応障害になり
失うものも多かった気がします

ですが、相手が離れていったわけではないのです
自分から..
全て自分から距離を置くようになったのです

年賀状もそのひとつ..

管理職を下りた3年前に
長年やり取りをしていた方たちには
もう出したくないと言いました

出さなければ来なくなる
それぞれみんな転勤族ですから
来なくなれば新しい住所もわからないので
そこで終わりになります

こうして我が家の賀状は
300枚が今では100枚に..
その中で夫の個人的なものは
数枚になってしまいました

ある日、夫が言うのです

「ママ・・・友達になってくれない?」

(゚д゚)? 

私の返事は
「いいよ!」でした

心許せて、守ってくれるのなら
夫婦とか友人とかどちらでも良いのです

夫が、『自分には友人がひとり居る』
この気持ちが嬉しいのなら
私はずっと、妻兼友として一緒に居ようと思います

夫は息子にも
「友達になってくれない?」と声を掛けていました

息子 → Σ( ̄。 ̄ノ)ノ 何?

二人目は失敗に終わりました (=∀=)

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プロフィール

iomama

Author:iomama
夫は適応障害になり
今年で20年..
二度の休職は
夫にとっても私にとっても
とても辛いものでした

何があっても
共に歩んでいきます

夫も私も泣く日もありますが
笑う日もたくさんあります

夫が悪いのではない
誰かが悪いのではない

不安の真ん中に
今はすっぽり
包まれてしまっているだけ..

そんな夫の傍にいることが
私の役目だと思っています

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